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Posted by たまりば運営事務局 at

はじめての就職

「長谷川くん! 長谷川くんじゃないのか!」
多摩センター行のバスに乗り込んだ時、バスの後方席から私を呼ぶ声がした。
「あの懐かしい、しゃがれた声は……?」
「もしかしたら? あの方!」
振り返ると、私が学生の頃勤めた出版社の社長湯本氏が身を乗り出して私の名前を呼んでいる。すでに70代になっておられるはず。でも細身の小柄な体にきちんとスーツを着ている姿は昔と少しも変わってはいない。
「(なぜ? 今? こんな場所で?)」
退職してからすでに20数年が経ち、乗り合いバスの中で偶然遭遇するなんて不思議な出来事である。しかも住まいは私と同じ松が谷団地。聞くと息子夫婦と別居するための仮住まいとのこと。信じられない現実にただただ驚くばかりだった。しかしこの嬉しい再会を機に、氏のお宅を度々訪ねるようになり、やがて個人出版のお手伝いをすることになったのである。
思い起こすと、湯本氏との出会いは、私の初めての就職先であった。今から53年前(昭和37年)春のことである。
私は15歳、家庭の経済的な理由から、中学を卒業後、働きながら夜間高校へ通う道を選んだ。
入学した高校は都立九段高校。入学後間もなく学校からの薦めで就職した会社は『潮流社』といい、大手企業の社内報の制作を請け負う出版プロダクションであった。
勤務する会社はJR飯田橋駅から歩いて10分位。飯田橋駅西口を出て左折、警察病院を右に見ながら、なだらかな坂を上って行くと、正面に都立九段高校の正門が見えてくる。朝はその正門の前を通り過ぎ、さらに靖国神社の鳥居の前を通り過ぎると千鳥ヶ淵が目前にひろがる。皇居北の丸公園の田安門から日本武道館の大屋根が見える千鳥ヶ淵の傍に、私が初めて就職した『潮流社』があった。千代田会館という雑居ビルの半地下にあり、隣は印刷紙業社という業界誌の出版社。トイレも厨房も共同、社員旅行を合同で行くほど、隣同士仲が良かったことを覚えている。そういえば、古いアルバムを開くと浴衣姿で宴会をしている写真があった。
 就職当時は2年後(昭和39年)の東京オリンピック開催を前にして、日本の経済は高度成長時代に入り、右肩上がりの経済が加速を始めた時代。私が初めて就職した会社もその波に乗り、全国に支社をもつ鉄鋼会社や観光会社の社内報を請負っていたのである。
 しかし、社員は社長を含めて5人だけ。社長、編集長、経理、残り私を含む2人の編集担当者のみ。一人ひとりが戦力にならなければ成り立たない会社である。毎日編集長のもとで、現場での仕事をこなしながら編集のノウハウを学んだ。
全国の支社から届いた原稿の整理、編集、割り付け(レイアウト)、校正作業、色指定、空きスペースがあればカット(イラスト)を描いて入れるなど、担当する仕事は全てひとりでやりとげなければならなかった。一度教わったことを忘れて再度聞き直すと、「一度聞いたことは二度と聞くな!」と、編集長から厳しい叱責が飛び、仕事への曖昧な姿勢を諌められたこともたびたびである。
それでも十代の私にはその責任の重さを計り知ることもなく、むしろ未知の世界に興味津々。仕事の楽しさにのめり込んでいった。刷り上がった社内報を手にしたときの嬉しさは格別で、少し大げさかもしれないが、おそらく漁師が大物の鮪を釣り上げた時のような達成感に似ているかも知れない。その感覚が忘れられず編集という仕事にのめり込んだ。
私は大学受験のために、3年間だけ、この会社でお世話になったが、保育士になることが夢だった私が、編集の仕事の魅力に取りつかれ、「初めての就職」が「生涯の仕事」になってしまった。そして38歳の時、多摩ニュータウンの松が谷団地でタウン紙を創刊することになったのだが、それは青春時代からずっと抱えていた夢の実現だったのかもしれない。
そして、冒頭に述べた湯本氏との再会。人と人の縁には目に見えない深い意味と絆があるのだろう。
  


  • 2015年06月16日 Posted by たまのばあちゃん at 20:43Comments(0)現役ばあちゃん奮戦記自分史

    自分史と母の遺言

     今、「自分史」をつくることが静かなブームになっています。最近も「自分史」と「歌集」の出版をしたばかりです。どちらも著者は80代の方々。
    お一人は88歳を機にこれ迄の人生をまとめた「我が思い出の記」です。壮絶な戦争体験、そして終戦と就職、結婚、セカンドライフ、4章にわたった大作でした。89歳を迎える前にと、昨年1年間をかけてパソコンと格闘し、家族や孫たちのため、そして戦友にと40冊を出版しました。ありのままの体験や経験を書き綴った「自分史」です。
     もう1冊の歌集は、青春時代の2年間から空白の50年を経て、夫亡き後に再開した短歌集「花びらの渦」です。著者がこれまで生きて来られた心のさまを短歌として表現された自分史です。
     誰しも自分の体験や経験はオリジナルのものであり、記録として残さなければ、自分が得た知識や知恵はそのまま消えてしまいます。「自分史」としての記録を何らかの形にして残しておくことで、家族や子孫、親しい友人とそれらの記録を共有することができるのです。その生きてきた証を残すことは大人としての使命であり責任でもあるといえるかも知れません。

     私にも、亡き母が書き残した1冊の日記があります。
     「―東京に来て、今までの日記は全部捨てた。母なき後に子供たちの涙をそそるから―」
     冒頭に書かれた母の言葉です。そしてノートの所々にはきれいに切り取られた跡が残っています。その足跡に、母の生きることへの強さと、残された我が子への優しさを見る想いがします。
    私の母は7歳の頃、音を失いました。明治時代のことで、医療のなすすべもなく、何週間も高熱が続いたことが聴覚障害を持つ原因になったようです。聴覚を失った母は小学校に行くこともできず、毎朝友達が畦道をあるいて学校に行く後ろ姿を、畑仕事を手伝いながら見送っていたようでした。
     「学校に行けないことが悲しくてねえ…」
     当時を思い起こしてそう語る母には、耳が聞こえないことよりも、学校に行けなかったことのほうが悲しく、辛かったに違いありません。
    そんな母が父と出会い、8人の子を産み育て、戦争を乗り越え、勝ち越えた人生の想いがこの1冊の日記の中に残されています。
    聴覚に障害があるため、母とゆっくり対話をすることができませんでしたが、「日記」を通し、母のメッセージが鮮やかに甦ってきます。まるで側に生きているように…。
     そして、温かな気持ちになれるのです。不思議ですね。
     「冬は必ず春となる」…母の大好きな言葉です。
     「人生の冬はどんな辛いこと出合っても、その苦しさに負けなければ、必ず春のような幸せな人生を生きていけるんだよ」
     77歳の母が書き残した「遺言」です。
      


  • 2015年03月20日 Posted by たまのばあちゃん at 11:26Comments(0)個人出版自分史

    楽楽自分史講座がスタートします1

    間もなく自分史講座が開講します。
    題して「楽楽自分史講座」、多摩市関戸公民館の市民企画講座として開催です。
    1200字で自分史を書き、講座の最終日には1冊の本が完成する講座です。
    自分史のテーマは参加者によってさまざまです。
    人生にとって大切なパートナーとの出会いと結婚、家族、孫の誕生、仕事等々…。
    1枚の写真から、忘れられない出来事を切り取り、語り、文章や絵にしてみることから始めます。
    過去を振り返り、書き進めて行く中で、沢山の気付きに出合う筈です。
    例えば「あの大病を煩った時は苦しい毎日だったけれど、今から思うと、よくがんばったと思う…」
    今だからこそ判る「自分」への発見ですね。
    そして周囲の人々への感謝も生まれます。
    自分史を書く効用は、自分をあらためて見つめ直すこと。
    我が人生の総括をするために一代記を書くというより、
    自分史はこれからの未来を豊かに生きるために書くのです。
    自分史に興味をお持ちの方、お気軽にご参加下さい。

    講師は、児童文学作家の菊地澄子さんにお願いしました。
    自分史の書き方として、プロットとテーマの作り方や、
    テーマにそって文章を書く方法等、個別の指導も行います。

    詳細は
    http://tamashiminpro.org/wp/wp-content/uploads/2014/05/raku2-print1.pdf  


  • 2014年05月25日 Posted by たまのばあちゃん at 23:27Comments(1)現役ばあちゃん奮戦記ばあちゃんのワクワク市民活動

    母の背を見て子は育つ

    長いゴールデンウィークが過ぎてホットしています。連休になると、編集部は超ハードスケジュールになるからです。
    週刊発行の「もしもししんぶん」の締切は毎週月曜日。通常の場合は火曜・水曜でデザイン制作と校正作業、木曜は最終チェック後に印刷所にデータ入稿、金曜に色校正〜完全データ入稿、土曜に印刷…。週刊発行の流れです。連休ともなると、全て早めに準備しなければ間に合いません。が、しかし、今回は「もしもししんぶん別冊版・医療特別号」の編集も重なり、何とも連休が恨めしい〜状態でした。
    それでも見事に乗り越え、今日は医療特別号の色校正が終了。いよいよ明日完全データ入稿です。
    この連休中、編集長のTは子連れ出勤。ひたすら原稿を書き続ける彼女のそばで、小学生のSちゃんは書類の整理等のお手伝いをしてくれました。翌日、彼女が帰宅すると「お母さんへ」と書かれた手紙がテーブルの上に。
    「私は、お母さんが仕事をしていて、もっとお母さんが大好きになりました。土日お母さんが仕事に行く時は、いつもついていって仕事を手伝いたいです。なぜなら楽しいからです…」と。
    いつも忙しく帰宅が遅い彼女ですが、「手をかけられないけど、目と心をかけている」という母親の想いは、しっかりとSちゃんの心に伝わっているようです。
    そんな二人を見ていて、私も子育てをしながら働いていた若い頃を思い出しました。念願の再就職を果たし時のこと。保育園に入園したものの、連休中は頼りの保育園はお休み。止むなく子ども達をつれて出勤し、職場の中で子ども達が迷惑をかけないようにドキドキしながら仕事をしていました。思い起こすと、親も子も頑張って少しずつ育っていたように思います。
    女性が子育てをしながら働き続けるなら、一度や二度、我が子を職場に連れていくことがお勧めです。母親がどんな職場で、どんな人たちと、どんな仕事をしているのか、子どもの記憶に残っていれば、そばに母親がいなくても、お母さんの姿は子どもに見えているのですね。娘2人と同じ職場で働く今だからこそ、そんなことが言えるのかもしれませんが。
    働くお母さん達、社会の中で生き生きと働くかっこいい姿を、子ども達に見せちゃいましょう!
    女性が働くことが自然になった今、「母の背を見て子は育つ」時代なのですから。

      


  • 2013年05月13日 Posted by たまのばあちゃん at 21:51Comments(2)現役ばあちゃん奮戦記

    おばあちゃんの生きた証し「命の音」写真展

    視力に障害を持ちながらも明るく生き抜く祖母の姿を捉えた写真展『命の音』を観てきました。日本大学芸術学部写真学科4年の長谷川睦美さんの初めての個展です。昨年11月同大学の芸術祭で新写真派協会賞に輝いた作品を含め70点を展示しています。



    *写真は長谷川睦美さん(左)とご両親
    睦美さんの被写体テーマは「家族」。大学2年の時から約1年半にわたって祖母の姿を撮り続けました。祖母の三澤ハツさんは網膜色素変性症のため32歳の時全盲に。夫に先立てられたあともマッサージの仕事を続けながら一人暮らしをしていたといいます。再生不良性貧血で入院し、昨年9月に武蔵村山市の自宅で亡くなるまで撮り続けた写真からは、愛おしい家族の命の絆が観る人の心に温かく伝わってきます。(パルテノン多摩市民ギャラリー 4月8日(月)まで開催)
    ーー2012年9月11日の午後、祖母の呼吸が静かになりました。「一緒におばあちゃんの手を握ってあげよう」と母は私にいいました。手を握りながら私は祖母の最期を撮影しました。外では小鳥がさえずり、窓辺からはやわらかな光が差し込んでいました。母は息が少しずつ弱くなっていく祖母に「ありがとう」を何度も何度も繰り返していました。その言葉に応えるかのように祖母はうなずくようにして最期の呼吸をしました。(中略)この体験は私を大きく成長させてくれました。祖母から命のバトンを受け継いだ私は、これからの日々を大切に生きていこうと思います。ーー長谷川睦美写真展『命の音』パンフレットより

      


  • 2013年04月08日 Posted by たまのばあちゃん at 00:56Comments(2)

    平和のシンボル「陽光桜」

    写真は「陽光桜(ヨウコウザクラ)」の並木道。我が家のすぐ近く八王子市別所にある長池公園横のバス通りです。多摩ニュータウン西武地区最大の公園内の特別保存ゾーンにはマメザクラも見ることができます。3月22日、久しぶりに自然の中をゆっくりと散歩しながら、贅沢な時間を過ごしました。











    陽光桜のことを知りたくなり調べてみました。
    作者は愛媛県の高岡正明さん。(参考:NPO法人日本さくら交流協会 http://sakura-yoko.org/tour/tour02/speech02 )
    元教師だった高岡さんが戦場に散った教え子達のために天野吉野(アマギヨシノ)と寒緋桜(カンヒザクラ)との交配に25年をかけて改良したという。一重咲きで寒緋桜の紅色が残り、別名を紅吉野(ベニヨシノ)ともいいます。高岡さんは「平和のシンボル」として各地に送り続けました。
    陽光桜にはしっかりと人の想いが込められているのですね。とても幸せな気持ちになりました。


      


  • 2013年03月31日 Posted by たまのばあちゃん at 22:18Comments(1)自分史

    結婚40年目に感謝

    この3月、結婚40年目を迎えました。お互いに66歳になった私たち夫婦、元気に仕事が出来ていることに大感謝です。
    人間は一人で生きていくことはできません。誰かを支え、誰かに支えられて、心を通わせて生きているからこその豊かな人生。
    その最も身近な存在こそ家族であり、夫婦といえるでしょう。
    40年間様々なことがありました。夫が36歳の時に胃ガンを発病。46歳、49歳と再発。そして65歳で4度目の手術を乗り越え、1年後の今月、検査の結果「全く異常なし」との診断結果にホットしています。癌との戦いは壮絶でしたが、今になってみるとひとつひとつの出来事に意味があるのですね。友人曰く「怪物くん」が夫への愛称。沢山の方々の励ましのおかげで、癌細胞は絶望と共に増え、希望と共に減ることを実感しています。本当にありがたいことです。その恩返しに、地域でお役に立てる生き方を目指し続けたいと思っています。縁の下の力持ちとして。
    40年前の結婚式で恩師からいただいたメッセージが、日々心の中に息づいています。
    「いつまでも尊敬できるご夫婦に。それには互いの長所を知ることです」と。
    まず自らが成長しなければ、夫の”長所を見つける”ことができないということを学んだ大切な言葉。人は一生を賭けて自身を磨いてこそ幸せなのですね。日々「これから!」と前へ前へと着実に歩き続けようと思います。
    おばあちゃんにも輝く未来があるのですからね。
      
    タグ :自分史


  • 2013年03月22日 Posted by たまのばあちゃん at 13:46Comments(2)現役ばあちゃん奮戦記

    一声運動と防犯パトロール

    「週刊もしもししんぶん」は毎週10万軒のお宅にポスティングでお届けしています。配布は132名のエリアスタッフが担当。毎年初日の出を見ながら新年号を届けて下さる方もいて。雨の日も雪の寒さの中でも直接読者のお宅にポスティングです。本当にありがたいことです。
    編集部では、そんな皆さんが胸を張って配布できるようにと、日夜いい紙面作りに取り組んでいます。「読んで良かった!」と喜んで下さるようにと。そんなエリアスタッフの配布完了報告の一部を紹介しましょう。
    ◆早朝のお届けは真っ暗で寒さがとても厳しいです。家を出る時はブルッと寒さで震えるのですが、お届けの動きを速くしていくと、温かくなってきます。帰る頃にはポカポカの体になって「ああ、いい運動したなー」なんて嬉しくなります。寒さに負けない体作りをして、冬を乗り切ります。(Kさん)
    ◆配布時にお会いした方は「おつかれさま」「ありがとう」と手渡しで受け取ってくれます。「もしもししんぶん」が親しまれているのだなぁと、私も嬉しくなります。(Mさん)
    ◆「チラシお断り」と書かれているポストに、赤字で「ただし、”もしもししんぶん”と”トムハウスだより”はお願いします」とあり、嬉しくなりました。このお宅は「友達に見せたいので2部ください」と言われた方の所。寒さの中でのポスティングが暖かになりました。(Oさん)

    今年はこんな報告も。
    ★高層建物から老婦人が下りて来られ、壁に伝わって歩いていましたので、階段下のバス停まで同行しましたら、大変喜ばれました。(Aさん)
    ★配布物がポストの中にずっと残っている家がありました。普段は郵便物がポストに残ったままということがない家だったので、少し心配をしていましたが、今週はお届けの時に、外で庭掃除をされている様子を拝見し、お元気そうだったので安心しました。(Yさん)
    ★大雪後久しぶりに長靴をはいての配布となりました。途中で、転んで頭から血を流している方を自宅迄送り、ポスティングを終えてから立ち寄りましたら元気そうで安心しました。(Sさん)

    「週刊もしもししんぶん」の配布時には「防犯」の腕章を身に付けて、地域のパトロールもしています。「こんにちは!」と元気に声をかけながら。「一声運動」と「防犯パトロール」は、私たちが自主的にしている地域の見守り運動「防犯活動」です。
      


  • 2013年02月22日 Posted by たまのばあちゃん at 00:50Comments(1)週刊もしもししんぶん・ポスティング

    大歓迎! 中学生の職場体験。

    今年も、中学生の子ども達が職場体験にやってきました。八王子市松木中学校の生徒さんが2人。職場体験は3日間です。
    「もしもししんぶん」に掲載する広告のデザイン制作を熱心に見学。次は読者から寄せられたサークルや市民活動などの資料をもとに、パソコンで原稿を入力です。大切なのは校正。とくに名称や連絡先などを念入りにチェックします。
    スタッフと一緒に地域の商店へ。特集企画のご提案をする営業も体験しました。そして、「もしもししんぶん」を直接お届けするポスティングも。たった3日間でしたが、働くことの大変さと達成感を学んだようです。
    そして、私たちの仕事を「縁の下の力持ち」と評価してくれました。嬉しいですね。
    その感想は「もしもしねっと」のスタッフブログに掲載しています。ぜひ、読んで見て下さい。
    http://tnc-mosimosi.dreamlog.jp/


      
    タグ :職場体験


  • 2013年02月21日 Posted by たまのばあちゃん at 00:25Comments(3)

    「自分史」と母の日記

    今、「自分史」をつくることが静かなブームになっています。
    先日も、「自分史」と「歌集」の出版をお手伝いしたばかりです。どちらも著者は80代の方々。
    お一人は88歳を機にこれ迄の人生をまとめた「我が思い出の記」です。壮絶な戦争体験、そして終戦と就職、結婚、セカンドライフ、4章にわたった大作でした。今年89歳を迎える前にと、昨年1年間をかけてパソコンと格闘し、家族や孫たちのため、そして戦友にと40冊を出版しました。ありのままの体験や経験を書き綴った「自分史」です。
    誰しも自分の体験や経験はオリジナルのものであり、自分が記録として残さなければ、自分が得た知識や知恵はそのまま消えてしまいます。「自分史」としての記録を何らかの形にして残しておくことで、家族や子孫、親しい友人とそれらの記録をを共有することができます。その生きてきた証を残すことは大人としての使命であり責任でもあるといえるかも知れません。

    私にも亡き母が書き残した1冊の日記があります。
    「―東京に来て、今までの日記は全部捨てた。母なき後に子供たちの涙をそそるから―」
    冒頭に書かれた母の言葉です。そしてノートの所々にはきれいに切り取られた跡が残っていました。その足跡に、母の生きることへの厳しさと、残された我が子への優しさを見る想いがします。
    私の母は聴覚に障害があり、母とゆっくり対話をすることができませんでしたが、「日記」を通し、母のメッセージが鮮やかに伝わってきます。まるで側に生きているように…。
    そして、温かな気持ちになれるのです。不思議ですね。
      


  • 2013年02月17日 Posted by たまのばあちゃん at 01:31Comments(0)個人出版

    ようこそ職場体験に!(2)

    この数ヶ月の間、地域の中学生達が職場体験にやってきました。稲城市、八王子市から、そして地元多摩市からは1週間(月〜金)の体験です。
    私たちの職場を選んだ動機を聞くと、「“もしもししんぶん”をつくる大変さを学びたい」といいます。
    嬉しい言葉ですね。「大変さを学びたい」って。
    先ず1日目は、「多摩ネットワークセンターという会社はどんな仕事をしているのか」を勉強。「もしもししんぶん」の発行だけではなく、地域の情報を各家庭にお届けするポスティング事業や、「もしもしねっと」という地域ポータルサイトを配信しながら、オリジナルのweb制作をしていること、ロゴやパンフレットなどのデザイン企画、自分史などの個人出版ほか、様々な媒体の制作をしていることを知識として学んだあと、実体験に移ります。
    取材や広告取りなど営業活動への同行、そしてポスティングの体験等々。
    職場体験最後の金曜日は編集会議に参加、宿題の企画を提出します。
    そして、職場体験の感想を「もしもしねっと」のスタッフブログに投稿して終了です。
    その素直で曇りの無い感想は、宝のような言葉で綴られていて、私にとって、これからも頑張ろう!というエネルギーになります。
    「もしもしねっと・スタッフブログ」http://tnc-mosimosi.dreamlog.jp/
    将来の職業を選択する上で、わずかでも役に立つことができたらと子ども達を受け入れているのですが、こちらのほうこそ「選んでくれてありがとう!」と感謝です。
    来年1月にも2校の子ども達が職場体験にやってきます。

      


  • 2012年11月11日 Posted by たまのばあちゃん at 23:50Comments(0)週刊もしもししんぶん・ポスティング

    「岩手復活暦」が届きました。

    「東日本大震災の風化を遅らせたい」「同じモデルで同じ場所を撮影することで、変わって行く町の様子を伝えたい」と、昨年発行された「山田町復活暦」「大槌町復活暦」「釜石復活暦」が、今年は「岩手復活暦」として1冊にまとまられ完成しました。

    震災後に岩手県沿岸部に移り住み農業を始めた方や、震災をきっかけに大阪に移り住んだ方も出演され、「阪神大震災を経験した大阪の人は、自分たちの町は自分たちでつくるという強い意気込みがある。自分の役割は大阪と釜石をつなぐこと」(「岩手復活暦」から)と、がんばっている姿が紹介されています。
    表紙は大槌高校を卒業する仲良し3人組がモデルです。卒業後は埼玉県で理容師に、関東の大学に、そして地元のホテルに就職がきまり、それぞれが別々の人生に。「どこにいても、ふるさとにいる」という見出しに、復興を願う方々の想いが伝わってきます。
    A4判2つ折り、32頁、1冊1575円(送料別)
    詳細はホームページで「岩手復活暦2013]で検索。
    発行:岩手ぴかぴか大作戦。  


  • 2012年11月01日 Posted by たまのばあちゃん at 12:19Comments(2)

    サクラ散る! 

    「サクラ散る」のメールが届きました。先日チャレンジした「シニア情報生活アドバイザー」認定試験に落第です。
    試験の結果は次のとおり。
    1、シニア向けの教材を作りプレゼン
    2、Windows7の環境設定、各種トラブルの対処法、インターネットの立ち上げなどの20問に文章で解答するペーパー試験、
    この2科目は合格したものの、
    3、フリーソフトで2点の作品を作り、ネットをつなぎ、作品をメールで送信する実技試験が73点、合格ラインの80点に及ばず失格です。幸い再挑戦出来るので、めげずに「実技試験」の合格を目指すことにしました。

    思えば、日常生活でWindows7を使ったことのない私が、1カ月間PCを借りたものの、合格に至らなかったのは当然のことでした。
    それでも、「孫の似顔絵を描く」ことをテーマに、フリーソフト「ゆめいろえのぐ」を使い、シニア向けの教材を作ったことが、かすかな自信につながりました。
    写真はパソコンで初めて描いた孫の似顔絵です。絵の具も水もいらない水彩画にはまってしまいました。この楽しさを身近なシニアの方達と共有したい。そのためには、必ず合格を勝ち取るとぞーicon22と決意。
    只今、本格的にWindows7を学ぼうと計画中。内心とってもワクワクしています。
      


  • 2012年10月19日 Posted by たまのばあちゃん at 20:46Comments(3)現役ばあちゃん奮戦記

    敬老の日は過ぎたけれど…

    9月は、仕事とシニア情報生活アドバイザーの資格取得の勉強に大忙しでした。
    そんな中、朝日新聞東京本社の社会部記者の方から、ブログ「未来の宝、孫たちへ」を見て取材依頼がきました。
    17日の敬老の日を前に、前期高齢者になった団塊世代を取材しようというもの。
    9月15日夕刊に掲載され、テーマは「団塊世代も65歳」。「育ジイ」で罪滅ぼし、「趣味に投資」という見出しが載っていました。

    我が夫は「育ジイ」ではないけれど、かわいい孫3人と一緒に写真が掲載された。孫たちとの楽しい時間に、にこやかに目を細めている穏やかな表情は、やはり「この年齢」になったからこそ。若かりし頃は毎晩帰宅は夜中。こんな笑顔で我が子を見守る時間が無かったように思う。我が子に「してあげたかったこと」が、孫への想いになる。「罪滅ぼし」と言われるのならそれでもいい。セカンドライフは社会に貢献できる次の仕事を見つけたいと思う。未来の宝、孫たちのために。
    聖路加国際病院理事長の日野原重明氏のコメントが同じ紙面に掲載されていました。
    氏は現在100歳。「65歳なんてまだ若い。これからの人生は長い。新しいことに挑戦し、人生を楽しんでいる姿を若い世代に見せて欲しい」
    と。私も生涯現役で仕事は続けたいと思う。いつも「これから」と。  
    タグ :団塊世代


  • 2012年10月04日 Posted by たまのばあちゃん at 00:53Comments(0)現役ばあちゃん奮戦記

    シニア情報生活アドバイザー試験に挑戦しました。

    「シニア情報生活アドバイザー」の試験に挑戦しました。
    高齢者がパソコンやネットワークを利用して、楽しく活動的な生活を送れるようになることを目指した「シニア情報生活アドバイザー制度」は、
    経済産業省外郭団体の(財)ニューメディア開発協会が認定している制度。
    講座は9月毎週(土)4回講座で、しかも4回目の午後が試験という短期間。
    最初の1日目参加して気がついたことは、PCはWindows7を使うということ。
    こんな基本的なことを知らずに試験に挑戦するなんて、愚かでした。
    私が日常で使っているPCは「Mac」でしたから、焦りました。基本が全くわからないのですから。
    おまけに、1日目から、フリーソフトを使用したシニア向けの教材作りが宿題です。
    まさにお手上げ状態です!
    帰宅して続けるかどうか迷いましたが、後戻りはできません。
    今回学ぶ「シニアSOHO三鷹校」からWindows7を1カ月間お借りし、
    最後迄課題に挑戦することしました。

    2日目。
    フリーソフトで2点の作品を作り、ネットをつなぎ、作品をメールで送信する実技、
    Windows7の環境設定、各種トラブルの対処法、インターネットの立ち上げ、トラブル対応他を教材で学ぶ。
    3日目。
    自分で作成したシニア向け教材を使いプレゼン。
    4日目。
    午前中、最後の確認。午後試験。
    実技・プレゼン・ペーパー試験(設問20題) でした。
    途中、補講をお願いして、何とか最後迄がんばることができ、講師の先生方に感謝です。

    昼間は仕事があるため、自習は夜。
    睡眠不足になりながらも、試験当日は朝4時までWindows7に向き合いました。
    こんなに集中的に勉強したのは、本当に久しぶりでした。
    合否の結果はともかく、充実した達成感を味わっています。
    といいながら、もう夜中の1時半です。  


  • 2012年10月01日 Posted by たまのばあちゃん at 01:38Comments(5)現役ばあちゃん奮戦記

    じい&ばあの「孫の似顔絵展」

     「じいとばあ」が手間暇かけて、楽しみながら描き上げた「似顔絵・次世代を担う子ども達への贈り物」展を観てきました。
    描いたのは岡野勝さん73歳とその友人たち。私が岡野さんと初めてお会いしたのは27年前、「もしもししんぶん」を創刊して間もない頃でした。すでに多摩ニュータウンで初のデリバリーピザの店を開店され、広告掲載の依頼をいただいたのがきっかけです。その後65歳で引退されましたが、再び「孫の似顔絵展」の掲載依頼をいただくようになりました。

     久しぶりにお会いして、懐かしさに思わず握手。元気でいたからこその再会です。
     「好きな絵を描くことで、自分なりの社会奉仕ができたら」と、孫たちの似顔絵を描き続けている岡野さん。今年6回目の展覧会です。きっかけは「孫たちへの”愛”」そのもの。「キャンバスの中の孫と語り合いながら筆を持つ時間は楽しく、心が和みます」と岡野さん。1枚1枚の絵には、「じいとばあ」の温かいメッセージが綴られています。

    「小学校入学おめでとう!ランドセルとてもお似合いよ」「高校入学おめでとう。初登校の愛、これからは目標を決めて何事にも前向きに」「愛犬ココアと…」等々、お孫さんの成長を愛おしく見守る岡野さんの想いが伝わってきます。
     最近では地域の公園で出会った子ども達の似顔絵を頼まれることも多くなりました。もちろん無償です。この日の展覧会場には名前のわからない似顔絵もあり、モデルになった方の申し出を待つコメントが添えられていました。
     次世代に生きる孫たちへの大きな愛が、「平和」という小さな種子となって、子ども達の命に根付くに違いありません。
       


  • 2012年07月22日 Posted by たまのばあちゃん at 23:28Comments(3)現役じいちゃん奮闘記

    市民プロデューサーの誕生!

     多摩市の『市民プロデュース塾』が終了して、その後の懇親会に参加しました。奇しくも会場は、ちょうど1年前に『TAMA一歩塾』を卒業したあとに開いた懇親会会場と同じです。塾生の皆さんは事業計画を発表され、いよいよ地域に始めの一歩を踏み出すことに。もう既に『たま・らいふ』という会も発足し、10月には講座も開催されるとのこと。多摩市にもいよいよ市民プロデューサーが続々誕生していきます。嬉しいことです。
     昨年『TAMA一歩塾』を卒業した私たちも「多摩・市民プロデュース研究会」(通称・TPK)を発足して約1年になり、様々な活動がスタートしています。
    ・エンディング講座「自分の葬儀をプロデュースしませんか」7月21日午後4時〜5時半・多摩市ひじり館於
    ・地域デビューを考える集い『壮心の会』8月29日午後6時〜8時・府中市ボランティアセンター於
    ・水彩画教室『青の会』毎週第2・4(金)午前10時〜12時・多摩市連光寺福祉館於
    ・多摩に創るクラフト展『多摩クラフト協会』11月16日〜18日・パルテノン多摩於
    ・多摩ブログ講座『地域と私・始めの一歩塾』
    ・『多摩ブログ村』
    その他、地域のコミュニティ活動にも積極的に参加されるなど、地域で様々な活動を展開しています。
     そして近々開催予定の市民企画講座「街を元気にするコミュニティビジネス講座」は、8月5日午後2時〜4時・多摩市関戸公民館於。
    『市民プロデュース塾』塾生の方々も参加していただけるとのこと。多摩市が抱える街づくりの課題と、その解決のための資源と方法は何か? 一緒にコミュニティビジネスの可能性を発見しましょう。  


  • 2012年07月16日 Posted by たまのばあちゃん at 01:55Comments(2)多摩・市民プロデュース研究会(TPK)

    ブログ村は人と人を繋ぐ「出会いの場」です

    7月7日多摩市関戸公民館で第2回目の多摩ブログ村を開催。前半1時間は気軽な勉強会、後半1時間は交流会に。
    参加者は17名、ブログ講座や多摩市民プロデュース講座の受講生、多摩市民プロデュース研究会のメンバーに加え、大学や元マスコミ関係者の方等の参加があり、大変賑やかで活発な「ブログ村」になりました。

    ブログ講座で聞けなかった初歩的な質問だけではなく、Facebookの使い方などが話題になりました。
    「Facebookが盛んになればなるほど、ブログの価値が高まる」
    「Facebookだけでは見えない”トモダチ”の想いが書かれたブログを読むことができれば確実な信頼につながる」
    「Facebookと併用することで,見られるしかけを創り上げることができる」etc
    これからは、ますますブログの良さや必要性が高くなる、というのが私の実感でした。
    長く紙の世界に身を置いて思うことは、やはり「文は人なり」なのですね。紙に書く場合でも、web上に書く場合でも、媒体は異なっても文章にはその人らしさがにじみ出るのですから。
    ブログは信頼出来る媒体として、今後ますます活用の幅が広くなっていくことでしょう。
    「ブログ村」はその繋がりをより強くする「出会いの場」です。
    また、お会いする日を楽しみに!  


  • 2012年07月10日 Posted by たまのばあちゃん at 01:03Comments(4)多摩市「地域と私・始めの一歩塾」・多摩ブログ村

    街を元気にするコミュニティビジネス講座を開催します

    「多摩・市民プロデュース研究会」(通称・TPK)では、只今『新聞』第2号の発行を準備中、7月20日発行予定です。
    (写真は7/7の編集会議・関戸公民館で)

    昨年秋発足したばかりのTPKですが、地域が抱える課題を、地域資源を活かしながら、ビジネス的な手法によって解決しようとする事業(コミュニティビジネス)をプロデュースすることを目的に活動しています。12月に『多摩・市民プロデュース新聞』を創刊、今年1月には『地域ふれあいフォーラム』で地域デビューを果たしました。
    第2号は、会員の個々の活動状況を掲載、トップ記事は8月5日(日)に開催する市民企画講座「街を元気にするコミュニティビジネス講座」を特集しています。講師は『調布アットホーム』の丸田さんと石原さんのお二人です。テーマは「調布飛行場と伊豆諸島をつなぐ夢を実現」。伊豆諸島でとれた朝取りの新鮮野菜や鮮魚が、数時間後には調布市内の飲食店や青果店に届くというプロジェクトの軌跡を語っていただきます。
    多摩市が抱える町づくりの課題と、その解決のための資源と方法は何か。街を元気にするコミュニティビジネスの可能性を学ぶ講座として、期待は大ですね。とても楽しみな講座です。
    ▲日時:8月5日(日)PM2:00〜PM4:00 *終了後に交流会
    ▲場所:関戸公民館第3学習室(オーパ8F)
    ▲申込:小林090-2673-4643  


  • 2012年07月09日 Posted by たまのばあちゃん at 00:51Comments(0)多摩・市民プロデュース研究会(TPK)

    95歳で宇宙食ラーメンを発明した「安藤百福」の生涯に感動

    仕事の忙しさに、すっかりご無沙汰してしまいました。
    6月28日、八王子商工会議所女性経営者の会『シルクレイズ』の研修視察で日清カップヌードルミュージアムに行きました。日清食品創業者・安藤百幅(あんどうももふく)記念館でもあり、世界初のインスタントラーメン”チキンラーメン”を発明し、世界ラーメン協会会長として業界の発展のために尽くした氏の生き様を知る貴重な施設です。
    96年間の生涯を通じて持ち続けたのは「クリエイティブな発想」と「最後まであきらめない執念」。
    その、食を創り世のために尽くした氏の「発明」を紹介します。(資料:「安藤百福発明記念館」パンフレット)
    1、48歳(1958年)第1の発明「チキンラーメン」
    大阪池田市の自宅裏庭に建てた小屋で、1日平均4時間という睡眠時間で1年間1日も休まずにたった一人で研究を続け、お湯があれば家庭ですぐに食べられるラーメン「チキンラーメン」を開発。「魔法のラーメン」と爆発的な人気を集めました。
    2、61歳(1971年)第2の発明「カップヌードル」
    アメリカに視察に行った際、スーパーの担当者たちが「チキンラーメン」を小さく割ってカップに入れお湯を注ぎフォークで食べる様子を見た氏は、インスタントラーメンを世界に広めるカギは、食生活の壁を越えることだ気付く。様々な智慧と革新的な発想を結集し『カップヌードル』を誕生させました。日本で生まれたインスタントラーメンはまさに「世界食」に生まれ変わったのです。
    3、95歳(2005年)第3の発明「スペース・ラム」
    「宇宙食を開発したい」という氏の夢の実現を95歳にして実現。無重力状態で食べる宇宙食ラーメンは宇宙空間でも人類の「食」を支えることになりました。

    世界初のインスタントラーメンが誕生した「百福の研究小屋」と全長約58メートルの大パノラマで紹介する「安藤百福ヒストリー」。97歳まで生涯現役で生きた氏の言葉が感動を呼びます。
    その他世界でたったひとつだけのオリジナル「マイカップヌードル」を作るファクトリーも。小さな子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで楽しめるミュージアムです。  


  • 2012年07月07日 Posted by たまのばあちゃん at 14:45Comments(4)現役じいちゃん奮闘記