たまりば

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Posted by たまりば運営事務局 at

「多摩・市民プロデュース新聞」創刊!

 随分とご無沙汰してしまいました。こうしてブログを書き始めると、この時間が「自分を見つめ直す時」と思えます。「忙しい」とは「心が亡びる」と書きますが、これからは忙しいからこそ、ブログを書こうと思います。次へのステップを踏むために!
 さて、新しい情報紙が創刊されました。「多摩・市民プロデュース新聞」(A4/ 4頁)、1月14日第1号の発刊です。
http://www.tamashiminpro.org/app/download/4847931174/kaihou-n.pdf
発行元は「多摩・市民プデュース研究会」(通称TPK)。昨年12月、多摩市関戸公民館主催の市民プロデューサー養成講座「TAMA一歩塾」を卒業した有志14名で発足したばかりの「会」です。そして、今月29日、多摩市関戸公民館で開催される「地域ふれあいフォーラムTAMA 」で始めての地域デビューを果たすことになりました。一人ひとりが地域の課題に向き合い、より良い地域社会を作ろうという熱い「想い」で活動を開始しました。その「想い」を「多摩・市民プロデュース新聞」に掲載しています。
 私もそのメンバーのひとりですが、「おじいちゃん・おばあちゃんは”未来の宝”」をテーマに、シニアの魅力を地域に還元していきたいと考えています。シニアの皆さん、人と人の心をつなぐために、ご一緒に楽しい「一歩」を踏み出しませんか!  


  • 2012年01月15日 Posted by たまのばあちゃん at 01:40Comments(0)ばあちゃんのワクワク市民活動

    始めの一歩は、ひとりから(6)ーありがとうー

    「週刊もしもししんぶん」が創刊27年目を迎えました。
    これまで、地域のコミュニティーを支えて下さったクライアントの皆様に心から感謝申し上げます。フリーペーパーは広告掲載店のご協力がなければ発行が出来ません。もちろん継続して行くことも。

    「もしもししんぶん」は、地域の皆様の様々なご要望にお答えしようと、少しづつ変化を続けてきました。月2回発行から週刊発行へ、モノクロから4色カラー刷りへ、2万部発行から現在8万5千部へ、そして、10月からは多摩市全域にお届けすることになりさらに1万部を増部することになりました。これまでは多摩ニュータウン地域(多摩市、八王子市、稲城市、町田市)と、八王子みなみ野シティ地域(八王子市)を発行エリアにしてきましたが、「読みたい」と言って下さる読者の方々のご希望を受けてて、準備を進めてきました。
    数日前、初めてお届けする連光寺地域の自治会にご挨拶に伺い、「もしもししんぶん」を各家庭にポスティングする許可をいただいてきました。この地域は、各家庭のポストに自治会の「チラシお断り」のシールが貼られているからです。が、以前イベントの掲載依頼をされたこともあるとのこと。快いご返事をいただきほっとしました。27年間の中でお役に立っていたのだと思うと、本当に続けてきて良かったと思います。

    「もしもししんぶん」は直接読者のもとにお届けするポスティングシステムを使用しています。フリーペーパーといっても、読んで活用したり、必要として下さる読者やクライアント様のもとにお届けすることが目的です。ですから、「チラシお断り」のお宅にはむやみに投函しません。ポストにチラシなどが詰まったままになっているお宅にも投函しません。このポスティングを担当するエリアスタッフは約130名、地域を知り尽くした主婦を中心に、最近では定年後の男性の方々が多くなっています。
    創刊以来ずっと続けている方もいて、本当に感謝です。ありがとうございます。

    さて、今後急激に高齢化が進むこの街には、どんなニーズが生まれて行くのでしょうか。「ホットな心をつなぎます」というコンセプトを原点に、新しい可能性を探りたいと思います。  


  • 2011年09月26日 Posted by たまのばあちゃん at 01:00Comments(0)現役ばあちゃん奮戦記

    始めの一歩は、ひとりから(4) ー創刊号でクレーム!ー

    9月1日は「もしもししんぶん」の誕生日。この日はタウン紙発行の目的を再確認する「原点の日」です。
    人と人をつなぐコミュニティ情報の発信、地域活性化の一助を担うこと、そして発行日を厳守すること、この三つの目的をはずしてタウン紙の存在はありません。

    忘れてはならない厳しい教訓があります。創刊号を発行しホットしたのも束の間、「発行日が遅れたことによる契約違反」というクレームが発生しました。「もしもししんぶん」の配布が発行日までに完了していなかったことが原因でした。タウン紙の制作は一人で出来ても、読者のもとにお届けする作業は到底一人では不可能なことでした。そんな当たり前のことを考える余裕もなく印刷された創刊号は、夫と当時小学生だった三人の子どもと達と家族総出で配布することに。しかし発行日当日は深夜までかかっても二万部の配布は完了出来ず、翌朝一般紙に折り込むことにしました。取次店に「もしもししんぶん」を持ち込んで、一般紙への折込は早くても翌日、発行日より二日の遅れです。このことが、「契約違反」という厳しい結果をうみました。

    定期発行物は読者のもとにお届けしてこそ発行されたことになります。趣味や道楽ではなく、広告を掲載して発行する媒体の責任の重さを思い知らされました。広告をいただいたお客さまには丁重にお詫びし、事なきを得ましたが、創刊号でいきなり厳しい現実に出合い、急遽ポスティングのスタッフを募集することにしました。

    当時の配布エリアは多摩市永山、貝取、豊ケ丘、落合、鶴牧と八王子市松が谷、鹿島、南大沢の二万軒を担当する地元の主婦を中心に力強いスタッフが誕生しました。その中に社内スタッフよりも長いお付き合いをいただいて、 20 年 以上もの間、共に歳を重ねてきた方々もいます。本当に大切な方々です。
    スタッフがお休みの時は私もポスティングを担当します。
    「いつも楽しみにしていますよ」という読者の声を励みに「雨の日も、夏の暑さにも負けずに」、直接ポスティングです。
    毎年秋には、エリアスタッフ120名が一同に会する総会を開催。年一回の楽しい感謝の集いです。  


  • 2011年08月13日 Posted by たまのばあちゃん at 03:16Comments(4)現役ばあちゃん奮戦記

    始めの一歩は、ひとりから。(3)ー生涯の恩人ー

     タウン紙の発行を続けるために、夫を担保にした悪妻の私。いったいどれくらいの借金を作ったかというと、創刊して3年の間に未払金が200万円を超えていました。勤務先が妻の借金先となり、夫は複雑な心境だったに違いありません。が、その大きなプレッシャーを営業活動にかけ、いつも売上は上位を走っていたようでした。
     夫がその会社に就職したのは昭和60年6月。前年の夏に大病を患い都内までの通勤を断念し、町田市にある印刷会社に応募し採用されました。それまで出版社や印刷関連会社に勤務し、その経験を生かせる願ってもない職場でした。そして、奇しくもその3カ月後に私がタウン紙を創刊することになり、印刷を依頼することになったのです。
     未払金が次第に膨らみ、「もう止めた方がいい」という夫の言葉に、タウン紙の発行を断念しかけた時、私の背中を力強く押して下さったのは社長のKさんでした。私たちはその信頼に応えようと、一躍発心したのはいうまでもありません。その後も長期にわたって公私ともに大変お世話になりました。Kさんは私たちのかけがえのない恩人です。

     創刊2年目の9月、責任ある仕事をするために有限会社として法人化を決意、自宅のキッチンを出て、多摩センター駅前のアパートに事務所を構えました。4畳半1間、リサイクルで購入した事務机に1本の電話を引いただけの小さな編集部でした。
     20数年前の多摩ニュータウンは開発途上にあり、商業施設も少なく、広告取りに歩く営業先を探すことすら困難でした。また、営業経験のない編集あがりの一主婦がどうがんばっても、広告で紙面を埋めることができず、創刊3年を過ぎても印刷費を返済するまでにいきません。それでも発行を止めなかったのは、読者の反応が大きく、タウン紙の役割の大きさを実感していたからです。
     現状は厳しいものの、10万世帯人口30万人を目標に街作りが進む多摩ニュータウンは、活気に満ち溢れていました。新しい街に移り住んだ「新住民」の間では市民活動が盛んになり、公民館活動からさまざまな市民サークルが誕生し、取材対象は大きく広がっていきました。限りない可能性と未来性をもった街で、経営は苦しくても、”読者が主役”をコンセプトにした「もしもししんぶん」は少しづつ成長し、人々に認知されるようになっていきました。

     創刊4年目を迎えた頃、野原が目立っていた多摩ニュータウン通りには次第に店舗が立ち並ぶようになり、飛び込み営業は悪戦苦闘しながらもクライアントが増え始めていきました。少しずつですが未払金の支払いも可能になり、返済期間は約5年間、創刊10年目迎えるまでの月日を要しました。
     完済までの長い間、何も言わずに待っていて下さったK社長への感謝は計り知れません。タウン紙の発行は印刷会社との信頼関係が不可欠です。その信頼と期待にを大切に、毎月の印刷費は、必ず持参することを心がけてきました。K社長への御礼を込めて。
       


  • 2011年08月07日 Posted by たまのばあちゃん at 22:51Comments(3)現役ばあちゃん奮戦記

    始めの一歩は、ひとりから。(2) ー担保になった夫ー

    「もしもししんぶん」の創刊は26年前の9月1日。多摩ニュータウン一角にある「松が谷団地」に入居して間もなく、お隣さん同士のコミュニティーを広げたいとの思いが動機でした。小学生の3人の子どもたちと夫、両親の七人が暮らす3kの都営住宅。キッチンの片隅に置いた小さな机が編集部でした。

    多摩ニュータウンに住む主婦による主婦のためのミニコミ紙は、B4判ペラ1枚モノクロ印刷、毎月1・15日20000部の発行でした。発行日は待ったなしでやってきます。情報収集と取材、記事や版下作りをしながらスポンサーの獲得に動く。毎日手作りの名刺を20枚持って飛び込みの営業です。「この名刺を配り終わらなければ帰らないぞ!」と意気込んで、まだ姿形のない「タウン紙」への広告掲載をお願いして歩きました。それまで全く営業経験がなく、怖いもの知らずの私は、使命感に燃えて突っ走りました。今から思うと、当時の無鉄砲さに身震いさえします。

    定期発行物のため、どんな理由があっても、発行日が遅れたり休刊したりすることはできません。目標の広告が取れなくても、空いた紙面を記事で埋めて制作します。一件でも広告が入れば、掲載料の金額に関わらず発行する事に全力を上げます。例え赤字になっても、広告主の誠意にこたえることが、信頼の絆を作ることになると信じていました。タウン紙を発行する責任者として、この姿勢は今も変わりません。しかし、広告が取れずに赤字の発行が続けば継続は出来なくなります。フリーペーパーは無料配布ですから、発行のたびに、印刷所への未払金は確実に膨らんでいきました。

    そんな時、傍でハラハラしながらも見守ってくれていたのが夫です。当時、タウン紙の印刷を依頼していた会社に勤務していた夫は、私にリスクの大きい仕事を許したことを後悔していました。発行に直接携わらなくても、資金面の出処は夫の給料しかありません。しかも、自分が働いている会社が妻の借金先ともなれば、夫は「鍼の筵」に座る思いです。ある日、夫は言いました。「俺は担保か」と。

    現在代表を務める夫は、お客さまに「創業者は女房です」といいますが、夫という経営者がいなければ、タウン紙の継続はできませんでした。創刊の「始め一歩は」一人でしたが、隣に厳と存在する夫という同志がいて守られてきました。本当に感謝です。  


  • 2011年08月01日 Posted by たまのばあちゃん at 00:44Comments(4)現役ばあちゃん奮戦記

    始めの一歩は、ひとりから。(1) ー母は太陽ー

     私は働くことが大好き。例えば忙しくて徹夜になっても苦しいと思わないくらい仕事が好きなのです。求められれば応えたい、と思うからです。性分ですから止めようがありません。
     子どもの時からの夢は、「職業婦人」になることでした。少々古い言葉ですが、「経済的な自立のできる女性」ということでしょうか。現代では女性が社会に出て働くことはごく自然なことですが、今から30数年前は、女性が働き続ける壁はとても厚いものでした。
     私の母は聴覚に障がいがあり、職業は持ちませんでした。それでも8人の子どもを育てながら、貧しさにも負けず、決して自分を卑下することなく、堂々と生きてきた気丈な人でした。まさに「太陽」のような女性でした。この母の偉大さは、子育てを終えた年齢になってから理解出来るようになったのですが、幼い頃は、経済力を持たない母の人生は、生きる選択肢を持てない弱い立場に見えました。そんな環境が「働く女性」への憧れになったのでしょう。
     ベビーブーマーと呼ばれた私たちの世代は、受験戦争に巻き込まれ、当然ながら職業に就くことも競争でした。私は某学校の夜間高校に学びながら、幸いにも小さな出版社に就職することができました。企画、取材、原稿書き、校正、写真撮影、空きスペースがあればイラストも描くなど、出版に関することは、全て一人でやり遂げなければなりません。仕事に厳しい鬼の編集長には、一回教えられたことは二度と質問することができませんでした。仕事は一日中緊張の連続でしたが、その反動で夜学生活は何と楽しかったことか。あの青春時代の奮闘は本当に懐かしく、このまま生涯現役で働き続けたいと思うエネルギーの源でもあります。
     「もしもししんぶん」を創刊した時、同居していた母が50万円の出資をしてくれました。その資本金で、多摩センター駅前にあった4畳半一間のアパートを借り、電話を一本引いて編集部が完成。たった一人でスタートしたタウン紙の発行は、今は亡き母の応援が支えでした。  


  • 2011年07月23日 Posted by たまのばあちゃん at 01:20Comments(2)現役ばあちゃん奮戦記

    ブログタイトル変更しました

    多摩市ブログ講座で始めの一歩を踏み出したばかりですが、ブログタイトルを変えることにしました。
    タイトル「もしもし」→「未来の宝 孫たちへ」に、ニックネームも「ひまわり」→「たまのばあちゃん」に変更です。
    毎日仕事に忙しい「たまのばあちゃん」が、たまの孫たちに伝えたい言葉をブルグで語りたいと思います。
    多摩のばあちゃん、じいちゃんの皆さん、多摩の孫たちに愛情いっぱいのメッセージを発信しましょう。
    コメントをお待ちしています。  


  • 2011年07月13日 Posted by たまのばあちゃん at 14:47Comments(2)ばあちゃんのワクワク市民活動

    始めの一歩塾に行き、一歩前進です。

    今日は多摩市で主催するブログ講座に参加しました。紙に書くことが日常の私にとって、ブログに書くには、やはり抵抗があります。もしかして、顔の見えない方からコメントが寄せられたら…、どう対応したらいいのだろう?  


  • 2011年07月07日 Posted by たまのばあちゃん at 14:58Comments(4)ばあちゃんのワクワク市民活動