C3
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未来の宝、孫たちへ
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「週刊もしもししんぶん」を創刊、地域情報を発信し続けて四半世紀を超えました。68歳を迎えたこれからの「私の仕事」は、生涯現役で働くじいちゃん・ばあちゃんたちの生き様を伝えることです。
ja
Fri, 20 Mar 2015 11:26:48 +0900
Wed, 17 Jun 2015 23:04:33 +0900
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たまのばあちゃん
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私は、多摩ニュータウンで週刊もしもししんぶんの発行に携わり、9月には30
年目を迎えます。http://mosimosi.biz/
夫も私も昭和22年生まれの団塊世代。夫婦というより、同じ職場で働く同志といったほうが適切かもしれません。結婚して40年にもなれば、様々な出来事がありましたが、冬は必ず春となるように、永遠に続く冬はないと、何があっても支え合い、励まし合いながら生きてきました。
仕事は生涯現役で働き続けたいと思いますが、4人の孫を授かり、老いと向き合う時期到来です。これまでの人生をちょっとだけ振り返り、孫たちと一緒に、これからの未来の可能性
を切り拓いて生きて行きたいと思います。
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自分史と母の遺言
今、「自分史」をつくることが静かなブームになっています。最近も「自分史」と「歌集」の出版をしたばかりです。どちらも著者は80代の方々。
お一人は88歳を機にこれ迄の人生をまとめた「我が思い出の記」です。壮絶な戦争体験、そして終戦と就職、結婚、セカンドライフ、4章にわたった大作でした。89歳を迎える前にと、昨年1年間をかけてパソコンと格闘し、家族や孫たちのため、そして戦友にと40冊を出版しました。ありのままの体験や経験を書き綴った「自分史」です。
もう1冊の歌集は、青春時代の2年間から空白の50年を経て、夫亡き後に再開した短歌集「花びらの渦」です。著者がこれまで生きて来られた心のさまを短歌として表現された自分史です。
誰しも自分の体験や経験はオリジナルのものであり、記録として残さなければ、自分が得た知識や知恵はそのまま消えてしまいます。「自分史」としての記録を何らかの形にして残しておくことで、家族や子孫、親しい友人とそれらの記録を共有することができるのです。その生きてきた証を残すことは大人としての使命であり責任でもあるといえるかも知れません。
私にも、亡き母が書き残した1冊の日記があります。
「―東京に来て、今までの日記は全部捨てた。母なき後に子供たちの涙をそそるから―」
冒頭に書かれた母の言葉です。そしてノートの所々にはきれいに切り取られた跡が残っています。その足跡に、母の生きることへの強さと、残された我が子への優しさを見る想いがします。
私の母は7歳の頃、音を失いました。明治時代のことで、医療のなすすべもなく、何週間も高熱が続いたことが聴覚障害を持つ原因になったようです。聴覚を失った母は小学校に行くこともできず、毎朝友達が畦道をあるいて学校に行く後ろ姿を、畑仕事を手伝いながら見送っていたようでした。
「学校に行けないことが悲しくてねえ…」
当時を思い起こしてそう語る母には、耳が聞こえないことよりも、学校に行けなかったことのほうが悲しく、辛かったに違いありません。
そんな母が父と出会い、8人の子を産み育て、戦争を乗り越え、勝ち越えた人生の想いがこの1冊の日記の中に残されています。
聴覚に障害があるため、母とゆっくり対話をすることができませんでしたが、「日記」を通し、母のメッセージが鮮やかに甦ってきます。まるで側に生きているように…。
そして、温かな気持ちになれるのです。不思議ですね。
「冬は必ず春となる」…母の大好きな言葉です。
「人生の冬はどんな辛いこと出合っても、その苦しさに負けなければ、必ず春のような幸せな人生を生きていけるんだよ」
77歳の母が書き残した「遺言」です。
https://mosimosi8181.tamaliver.jp/e403847.html
https://mosimosi8181.tamaliver.jp/e403847.html
個人出版,自分史
Fri, 20 Mar 2015 11:26:48 +0900
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「自分史」と母の日記
今、「自分史」をつくることが静かなブームになっています。
先日も、「自分史」と「歌集」の出版をお手伝いしたばかりです。どちらも著者は80代の方々。
お一人は88歳を機にこれ迄の人生をまとめた「我が思い出の記」です。壮絶な戦争体験、そして終戦と就職、結婚、セカンドライフ、4章にわたった大作でした。今年89歳を迎える前にと、昨年1年間をかけてパソコンと格闘し、家族や孫たちのため、そして戦友にと40冊を出版しました。ありのままの体験や経験を書き綴った「自分史」です。
誰しも自分の体験や経験はオリジナルのものであり、自分が記録として残さなければ、自分が得た知識や知恵はそのまま消えてしまいます。「自分史」としての記録を何らかの形にして残しておくことで、家族や子孫、親しい友人とそれらの記録をを共有することができます。その生きてきた証を残すことは大人としての使命であり責任でもあるといえるかも知れません。
私にも亡き母が書き残した1冊の日記があります。
「―東京に来て、今までの日記は全部捨てた。母なき後に子供たちの涙をそそるから―」
冒頭に書かれた母の言葉です。そしてノートの所々にはきれいに切り取られた跡が残っていました。その足跡に、母の生きることへの厳しさと、残された我が子への優しさを見る想いがします。
私の母は聴覚に障害があり、母とゆっくり対話をすることができませんでしたが、「日記」を通し、母のメッセージが鮮やかに伝わってきます。まるで側に生きているように…。
そして、温かな気持ちになれるのです。不思議ですね。
https://mosimosi8181.tamaliver.jp/e335795.html
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個人出版
Sun, 17 Feb 2013 01:31:17 +0900
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人生のメモリアル「個人出版」
朝6時からの放送大学で、英語、フランス語、ドイツ語、中国語を学び、朝食をはさんで、ゆっくりと新聞を読む午前のひととき。
午後は自宅の中庭でゴルフの素振りをして軽い運動。その後は小説を読む毎日、という88歳の方に出会いました。
「生涯、学ぶことに貪欲でありたいですね」と。60歳で定年退職後、夢だった日本画も80歳まで学んだと言います。
好奇心に溢れた充実した毎日。今年88歳を迎えられ、現在制作中なのは自分史「我が思い出の記」です。
年内の出版を目標にお手伝いすることになりました。
それから、もう一方。お母様が遺された俳句を冊子にしたいと、8月の一周忌を前に編集制作のお手伝いもしています。
タイトルは「おかげさまで」。お母様の口ぐせだった「おかげさまで」を表紙に、お世話になった身近な方々に贈呈したいという、
娘さんの想いが出版という形になりました。
これまでも、おばあちゃんからお孫さんに当てて描き上げた絵本、人生の節目に書き留めた歌集、作品集、紀行文、エッセー等々。
「人生の宝物」と喜んでいただけるものをと、心を込めて編集、出版をしてきました。
個人出版は一生に一度のことですから。
https://mosimosi8181.tamaliver.jp/e219050.html
https://mosimosi8181.tamaliver.jp/e219050.html
個人出版
Sat, 12 May 2012 00:53:38 +0900