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Posted by たまりば運営事務局 at

始めの一歩は、ひとりから。(2) ー担保になった夫ー

「もしもししんぶん」の創刊は26年前の9月1日。多摩ニュータウン一角にある「松が谷団地」に入居して間もなく、お隣さん同士のコミュニティーを広げたいとの思いが動機でした。小学生の3人の子どもたちと夫、両親の七人が暮らす3kの都営住宅。キッチンの片隅に置いた小さな机が編集部でした。

多摩ニュータウンに住む主婦による主婦のためのミニコミ紙は、B4判ペラ1枚モノクロ印刷、毎月1・15日20000部の発行でした。発行日は待ったなしでやってきます。情報収集と取材、記事や版下作りをしながらスポンサーの獲得に動く。毎日手作りの名刺を20枚持って飛び込みの営業です。「この名刺を配り終わらなければ帰らないぞ!」と意気込んで、まだ姿形のない「タウン紙」への広告掲載をお願いして歩きました。それまで全く営業経験がなく、怖いもの知らずの私は、使命感に燃えて突っ走りました。今から思うと、当時の無鉄砲さに身震いさえします。

定期発行物のため、どんな理由があっても、発行日が遅れたり休刊したりすることはできません。目標の広告が取れなくても、空いた紙面を記事で埋めて制作します。一件でも広告が入れば、掲載料の金額に関わらず発行する事に全力を上げます。例え赤字になっても、広告主の誠意にこたえることが、信頼の絆を作ることになると信じていました。タウン紙を発行する責任者として、この姿勢は今も変わりません。しかし、広告が取れずに赤字の発行が続けば継続は出来なくなります。フリーペーパーは無料配布ですから、発行のたびに、印刷所への未払金は確実に膨らんでいきました。

そんな時、傍でハラハラしながらも見守ってくれていたのが夫です。当時、タウン紙の印刷を依頼していた会社に勤務していた夫は、私にリスクの大きい仕事を許したことを後悔していました。発行に直接携わらなくても、資金面の出処は夫の給料しかありません。しかも、自分が働いている会社が妻の借金先ともなれば、夫は「鍼の筵」に座る思いです。ある日、夫は言いました。「俺は担保か」と。

現在代表を務める夫は、お客さまに「創業者は女房です」といいますが、夫という経営者がいなければ、タウン紙の継続はできませんでした。創刊の「始め一歩は」一人でしたが、隣に厳と存在する夫という同志がいて守られてきました。本当に感謝です。  


  • 2011年08月01日 Posted by たまのばあちゃん at 00:44Comments(4)現役ばあちゃん奮戦記